夏の真昼。樹木に囲まれた熱気の底を、せせらぎの音が走った。
水だ。駆け寄ると、白い煙を上げて群舞が始まっていた。
岩にせばめられては土を抉り、解き放たれるやいなや、裳を翻え
してくずおれる。
猛々しいきらめきと、打音。
この舞踏の際に立つ私の体内を、原初の血がたぎり始めた。



































無言の対話と無言の提示  矢澤 邑一
 「日光には一日三度の日の出がある」とは足立さんの言葉である。いかにも日光にふさわしい地についた言葉であり、日光を知りつくした人の言として味わい深い。
 日光はその昔から日本有数の修研道場であり、開峯祖勝道上人は天応二年(782)二荒山山頂をきわめられたものの十五年間三度目にして功成ったと記録されている。それは千古のことというべきであるが、その地形や自然の環境は、今も往時をしのばせ、千変万化の峯々と幽谷とによるかげりの黎明が刻差を生み出すのである。
 峻厳たる日光の自然、それは常に無言であり、かつ常に動いている。四季折々に色彩を変え、この世の総ての紅を蒐めたかのような中禅寺湖畔の秋はさながら錦絵のごとく、冬の男体山はこれまた生きた水墨画である。
 足立さんはそれ等の感動をカメラに託しているが、どの一枚の写真も興のおもむくままにシャッターを切ったものではなく、生きている光を追って、自分の審美眼と調和するまで、息のつまるような数え切れない繰返しによったものばかりで、その作品はにわかに鍍金と違う重い土着性と、大自然との「無言の対話」が伺える。対話を仏像写真でいうなら誕生仏が微笑を見せるのを待ち、伎芸天の奏楽音に耳をそばだて、妙花の香りただようを嗅いだ瞬間の姿をとらえようとする心である。
 足立さんとの出合は十数年前のことで、奈良国立博物館の光森正士氏と、輪王寺常行堂の調査撮影に伺ったとき、種々と心をくだいてお世話下さった時にはじまる。宝冠阿弥陀五尊のとりもつご縁でもあり、文化財の写真に端を発したわけである。
 足立さんが古文化財の宝庫奈良に遊び、東大寺戒壇院四天王立像(国宝)に挑戦されたことがある。

   びるばくしや まゆねよせたるまなざじを まなこにみつつ あきののをゆく (秋艸道人)

 足立さんは毘桜博叉=広目天の近よりがたいまでの眼差しにしびれ、護法の心を内面に秘めた強さに圧倒され「念願成就」の充実感もさることながらその興奮がなかなか静まらず、今尚語りぐさとなっている。彼の飽くなき探求心と、被写体に惚れ易く、感受性に富む心の証は、私によっても強い思い出である。
 「文は人なり」「文字は人なり」というが、「写真は見る言葉」であり「撮影者自身」でもある。足立さんは日光のもつ尊厳を一人自分の胸中にのみ留めることなく、その華麗さを「無言で掲示」した。賛言を要することなく、より多くを語らしめ、かつ最愛の郷土へ一つの謝恩をなしたといえよう。   
                             (奈良国立博物館 文部技官 専門員 やざわ さとかず)